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「覚悟」ができてから走り出すのではない、走り出したからこそ「覚悟」は生まれる

 

先日、医者になった高校時代の友人に「どうして医者になったの?」と尋ねる機会がありました。

僕が期待した答えは何か崇高な理由だったのですが、友人から意外にも返ってきた答えは、「何となくだよ。」という素っ気ないものでした。

加えて、彼が言ったことは「目の前で事故にあった彼女が冷たくなっていくことをどうすることもできずに医者になる覚悟をした、、なんて医者はいないさ。」というものでした。

それを聞いて、「何かを始める時に別に崇高な理由なんて必要ないなぁ」と、少しほっとしました。

なぜなら、僕自身「覚悟」と呼べるようなものが自分がやってきたことに対してできたとするならば、それは最近になってからと思っているからです。

さて、この英語学習をする上での「覚悟」についてはどんなことが言えるでしょうか?ちょっと考えてみました。

僕が考えたことは以下の3つです。

1.英語学習を始めるのに別に崇高な理由はいらない

僕たちは大人になるに従って、だんだん崇高な理由や目的を述べることを求められます。

利害関係を持つ範囲が広がるから当然といえば当然なんですが、自分自身に対してでさえ目的を求めるようになっていませんか?

新しいことを始めるのに「かっこいいから」でも良いと思います。

 

2.勉強をし続けるからこそ、覚悟は生まれる

僕が会社経営で覚悟を持ったのはずいぶん後になってからでした。特に人を雇うことになった時に得て初めて覚悟というものが芽生えたと思います。

勉強も同じで続けていくうちに何がしかの覚悟が生まれるのだと思います。

まぁ、勉強するのに覚悟は特段必要ない気もする。笑

 

3.覚悟は歯を食いしばる時に必要

続けていけば、嫌になることもあるし、迷うこともあると思います。

その時、歯を食いしばれるかどうかという時に覚悟は必要なんだと思います。

もちろん、英語が好きで好きで仕方がない人には必要なかもしれません(そういう人は最強!)。

でも、多くの人にとって英語学習はそこまで好きなものではないとも思うのです。

その時に、英語を学ぶ本来の目的に立ち戻り、学習を続けるという覚悟があれば、きっと続けることが出来るのではないでしょうか?

 

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前述の医者の友人の言葉には続きがあります。

「俺たちは、医学部に入って勉強し、そして研修医として患者と接する中で医者になる覚悟ができたんだよ。」

彼の言葉です。

僕自身振り返ってみた時、何かを始めた理由は、「面白そうだから、、」「かっこいいから、、」「好奇心にかられて、、」というものだったと思います。

・夫婦で世界旅行に出たときも。
・フィリピンのセブに英会話スクールをつくったときも。
・海外就職やキャリアの分野に進んだときも。
・このオンライン英会話スクールをつくったときも。
・子供を授かり、父親として生きていくときも。

そして、進み続ける中で少しずつ心が定まり「覚悟」というものが出来始めてきたのだと思います。
それは、苦労を乗り越え、人を巻き込み、歯を食いしばる必要がある時に培われました。

「走り出す際に覚悟はいらない。覚悟は走るからこそ出来る」

みなさんはどう思いますか?